<歴史>7.29

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今朝は、映画にもなった日本とトルコ親交のきっかけになった事件についてお伝えします。

1985年イラン・イラク戦争の時に、現地の日本人を救出するためにトルコ政府が動きました。

それは130年以上も前にトルコ人を助けてくれた日本への恩返しということだったのです。

その恩返しのきっかけになったのは、1890年に和歌山県串本町の沖合で沈没したトルコ船の乗組員を、現地の日本人が献身的に救助した出来事です。

トルコ船エルトゥールル号が日本での責務を終え、帰路につくタイミングに台風の影響で、エルトゥールル号遭難事件が起こります。

この事故によってほとんどの乗員は海へ投げ出され、500名を超える死亡者と行方不明者が出ました。

このとき、和歌山県の串本町の近隣で村民が協力し、捜索や救助、介抱を行っています。

結果として587名の命が犠牲になりましたが、69名は無事に救助することができたのです。

当時の村民による救助活動は、自分の命まで犠牲にしてもおかしくない必死なものでした。

救助には子どもから大人までが参加し、生存者がいないかどうか、荒れる海に飛び込んだといいます。

海岸には大勢の遺体が打ち上げられました。その中に紛れた生存者を見つけては、息絶えないよう自らの体温で温める人もいたのです。

亡くなってしまった乗員は村民たちによって手厚く葬られ、生存者には心づくしの介護が続けられました。

村民が1年に1度しか食べられない白米も船員に食事として出されたそうです。

オスマン帝国は、このときの日本人による救助活動に大きな感銘を受けたといわれています。

後日、この事件を聞いた日本政府は生存者を東京に移送し、医療機関での治療を行って全員が快方に向かいました。

最終的には生存者全員を日本政府が故郷まで送り届けています。

エルトゥールル号の残骸は今でも和歌山県串本町沖の海底に沈んでおり、実は現代に至っても引き上げ作業と調査は続いているのです。

事件が起こった串本町では、犠牲者を弔うために建てられた慰霊碑の前で、今でも5年ごとに追悼式典を行っていて、事件の遺品や写真などを展示したトルコ記念館もあります。

また、「エルトゥールル号遭難事件」は、トルコの教科書に載っていた時期もありました。

若い層を中心に「エルトゥールル号遭難事件」についてよく知らないトルコの人でも、親日感情を持つ人は少なくありません。

2013年に、日本人女性がトルコで殺害されるという事件が起こった際、現地住民は皆で集まり、女性への謝罪と哀悼の意を示したといいます。

 

エルトゥールル号遭難事件の映画化:『海難1890』

コメント

  1. 愛甲成子 より:

    西田さんいつも的確なメッセージありがとうございます😊感謝しています🙇‍♀️

    コロナ禍の今、フォーエバーが伝わっているので、全く不安無く過ごせるのが嬉しいです👍

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